前回のトヨタ編に続きまして、今回は、ニッサンではいつ頃まで、あの昭和のクルマの代名詞とも言える(誰も言ってない?)クロムメッキバンパーをメインに採用していたのか?を調査してみました。
憧れのハコスカもケンメリも、みんなクロムメッキのバンパーだった
前回の記事
クロムのバンパーの乗用車はいつ消えた?(トヨタ車編)
80年代以降生まれの人にとってはクロムメッキのバンパーが付いている乗用車なんて、ピンとこないのかもしれませんね。
しかし、現在の50歳代前後、それより上の人達にとって、胸躍らせながら、クルマの模型を作っていた少年達にとっては、クロムメッキのバンパーのクルマがなんと眩しかったことか、「ハコスカ」「ケンメリ」などなど。
マンガ「サーキットの狼」に登場すると外車、ロータス・ヨーロッパや、ジャガー、フェラーリ・ディノなんかにも、メッキのバンパーが付いていましたよね。
当時、雑誌などで、「未来のクルマ」のデザインなどを載せていましたが、まさに現在、街中を走っているクルマと同じですね。丸っこくて、ヘッドライトが吊り目で後ろに引っ張られたような形。
そしてバンパーは完全にボディーと一体化し、古い人間が見ると、「バンパーがない」様にも見えます。歳をとってしまったせいか、現代のクルマがみな同じに見えてしまう。おじさんの悲しさ。
やはり、1980年がメッキのバンパーの過渡期なのか
ニッサンの乗用車で、クロムメッキのバンパーを最後まで装着して販売されていた車種は何だったのでしょう?調べたところ、
2代目プレジデント250型(1973年 – 1990年)
このクルマはトヨタの『センチュリー』のライバルとも言える位置づけのクルマです。このクルマは公用車目的で製造されたクルマで『大衆車』と呼べないので、これはこれでとりあえず参考としておきましょう。
では、何年のどの車種が銀メッキバンパーの最後だったのでしょう。時代を遡って行きますと、『フィガロ』1991年 – 1992年に限定2万台で発売しています。
『限定2万台』それって限定か?って感じもしますが、このクルマは一応イレギュラーってことで保留扱いにします。
ローレルC31型系(4代目) セダン前期型 1980年11月~ 1982年9月販売
80年代のクルマですがバンパーはメッキと樹脂のコンポジットになっています。この80年前後の時期は、メッキバンパーに黒い樹脂のパーツをつけるのが主流でした。
シルビア(2代目)S10型 1975年〜1979年 これもコンポジット型
純粋なクロムメッキバンパーはというと、
ダットサン・サニー(4代目)B310型系 クーペ(前期型)1977年11月〜1979年10月
これですよ!なぜ現代カーに採用しないのだ。美しいメッキバンパーの昭和カー。
『スカイライン』のバンパーに黒い樹脂がついた時、ひとつの時代が終わりを告げた
『ハコスカ』『ケンメリGT-R』のクロムバンパーに憧れた、イタリアンスーパーカーにも負けない魅力を放っていた70年台の日本車。少年たちは必ずプラモデルを一度は作った。カウンタックやランチャ・ストラトスに混じって、ケンメリやセリカも作ったものです。
日本車の模型の方が改造のやり甲斐がありました。別売りのオーバーフェンダーを付けたり。
『ジャパン』でスカイラインのバンパーに黒い樹脂がついた。『ニューマンスカイライン』でバンパーは黒かボディーの色になった。
ちょうどその頃、世のスーパーカーブームも終わりを告げ、私という少年もクルマへの興味を失っていきました。
バンパーは最悪、ぶつける事があっても、ボディーを守るものだったはず。
80年代の車についているメッキのバンパーは、ボディーを守るためのものだったはずです。
バンパーが潰れることでボディーを守る。
車が好きなら、ボディーが潰れなかったと胸を撫で下ろし、潰れたバンパーも、取り替える。
仕事で使っている車なら、バンパーは多少潰れても構わないとそのままにして乗り続ける。
現在の車は、ぶつけても、ボディー全体で衝撃を和らげるような設計になっているので、出っ張ったバンパーを付けるという考え方が、設計上ないのかもしれませんね。
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