日本オープンの優勝はマスターズ出場への礎

2016年の日本オープンゴルフ選手権は、松山英樹選手の圧巻の優勝となりました。その後もWGC-HSBCチャンピオンズで2位に7打差をつけての優勝など、度胆を抜く成績を残してくれました。

そこで我々日本のゴルフファンが俄然期待を膨らませるのは、そう、マスターズトーナメントで松山英樹選手がグリーンジャケットに袖を通すことができるかという期待です。

それはもう、夢物語ではありません。 そこで、今回は日本オープン歴代優勝者とマスターズ出場者にどのような関係になっているのかを掘り下げてみました。

国内メジャーの権威『日本オープン』と『マスターズ』の関係を考える

今回は、日本オープン優勝者とマスターズ出場に何か関連性は見いだせるのか、調べてみました。

歴代日本オープン優勝者

○はマスターズ出場経験者

第1回(1927年) 赤星六郎(以下敬称略)
第2回(1928年) 浅見緑蔵
第3回(1929年) 宮本留吉
第4回(1930年) 宮本留吉
第5回(1931年) 浅見緑蔵
第6回(1932年) 宮本留吉
第7回(1933年) 中村兼吉
第8回(1935年) 宮本留吉
第9回(1936年) 宮本留吉
第10回(1937年) 陳清水○
第11回(1938年) 林万福
第12回(1939年) 戸田藤一郎○
第13回(1940年) 宮本留吉
第14回(1941年) 延原徳春
第15回(1950年) 林由郎
第16回(1951年) 小野光一○
第17回(1952年) 中村寅吉○
第18回(1953年) 小野光一○
第19回(1954年) 林由郎
第20回(1955年) 小野光一○
第21回(1956年) 中村寅吉○
第22回(1957年) 小針春芳
第23回(1958年) 中村寅吉○
第24回(1959年) 陳清波○
第25回(1960年) 小針春芳
第26回(1961年) 細石憲二
第27回(1962年) 杉原輝雄
第28回(1963年) 戸田藤一郎○
第29回(1964年) 杉本英世○
第30回(1965年) 橘田規
第31回(1966年) 佐藤精一
第32回(1967年) 橘田規
第33回(1968年) 河野高明○
第34回(1969年) 杉本英世○
第35回(1970年) 橘田光弘
第36回(1971年) 藤井義将
第37回(1972年) 韓長相

1973年ツアー制度が施行

第38回(1973年) ベン・アルダ○
第39回(1974年) 尾崎将司
第40回(1975年) 村上隆
第41回(1976年) 島田幸作
第42回(1977年) セベ・バレステロス○
第43回(1978年) セベ・バレステロス○
第44回(1979年) 郭吉雄○
第45回(1980年) 菊地勝司
第46回(1981年) 羽川豊○
第47回(1982年) 矢部昭
第48回(1983年) 青木功○
第49回(1984年) 上原宏一
第50回(1985年) 中嶋常幸
第51回(1986年) 中嶋常幸○
第52回(1987年) 青木功○
第53回(1988年) 尾崎将司○
第54回(1989年) 尾崎将司○
第55回(1990年) 中嶋常幸○
第56回(1991年) 中嶋常幸○
第57回(1992年) 尾崎将司○
第58回(1993年) 奥田靖己
第59回(1994年) 尾崎将司○
第60回(1995年) 伊沢利光○
第61回(1996年) ピーター・テラベイネン
第62回(1997年) クレイグ・パリー○
第63回(1998年) 田中秀道

1999年マスターズ出場資格にワールドランキング上位50人の条件を採用。『特別招待枠』は継続。

第64回(1999年) 尾崎直道○
第65回(2000年) 尾崎直道○
第66回(2001年) 手嶋多一
第67回(2002年) デビッド・スメイル
第68回(2003年) 深堀圭一郎
第69回(2004年) 谷口徹○
第70回(2005年) 片山晋呉○
第71回(2006年) ポール・シーハン
第72回(2007年) 谷口徹○
第73回(2008年) 片山晋呉○
第74回(2009年) 小田龍一
第75回(2010年) 金庚泰○
第76回(2011年) 裵 相文○
第77回(2012年) 久保谷 健一
第78回(2013年) 小林 正則
第79回(2014年) 池田 勇太○
第80回(2015年) 小平 智
第81回(2016年) 松山英樹
第82回(2017年) 池田 勇太○

第83回(2018年)稲森 佑貴

2018年までの日本オープン優勝者数は83回で58名

そのうち、マスターズにも出場したのは24人。およそ42%の選手が、日本オープンに勝ち、マスターズにも出場しています。(どちらが先かはここでは問いません)

ここからはデータの検証をしてみたいと思います。ツアー制度施行前(1972年以前)のデータは、選手層の薄さを考えると、不確定要素が多いと思われますのでここでは含めないで検証します。(もちろん日本プロゴルフ界の礎を気づいた名プレーヤーばかりで、尊敬に価する方々です。)

ツアー制度が施行された1973年以降で見ると。

2018年までの日本オープン優勝者数は33名、その中でマスターズに出場しているのは16名。およそ48%、約半分の選手が「日本オープン経由オーガスタ行き」(またはその逆)を実現しています。

複数回優勝者は、

尾崎将司
セベ・バレステロス
青木功
中嶋常幸
尾崎直道
谷口徹
片山晋呉
池田勇太

8人。いずれの選手も賞金王(セベ・バレステロスは例外)、マスターズ出場経験者です。

ここから分かることは、

日本オープンに2回以上勝っている選手は、必然的に賞金王&マスターズ出場を必ず実現している。

マスターズに行きたきゃ日本オープンに2回勝て! ってことでしょうか。

その他の検証

◆日本オープンに勝った後でマスターズに出場した選手
→村上隆、羽川豊、伊沢利光、金庚泰、裵相文

今回の日本オープンでリポーターを務めていらっしゃる羽川豊プロは1981年に日本オープンと日本シリーズの2勝をあげ、翌年マスターズに出場しています。日本シリーズは大阪で行われる前半2日間が雪のため中止になり、2日間の試合(青木選手とのサドンデスプレーオフ)での優勝です。

その年、羽川選手は賞金ランキング8位だったのですが、シーズン途中にデビューして6勝し賞金ランキング2位となった倉本昌弘ではなく、8位ながらも国内メジャー年間2勝の羽川選手へのマスターズ招待状。この件は当時論争になると同時に、日本オープンの位置付けを上げることにもなりました。

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倉本昌弘選手にマスターズ出場して欲しかった。

◆マスターズ出場経験の後の日本オープン優勝
→ベン・アルダ、尾崎将司、青木功、中島常幸、尾崎直道、谷口徹、片山晋呉、池田勇太、松山英樹

◆日本オープンを獲ることなく、賞金王も獲ることなくマスターズに出場している選手もいます。  
→中村通、鈴木規夫、東聡、金子柱憲、丸山茂樹、谷原秀人、今田竜二(USPGAツアーで優勝の資格)、松山英樹(アマチュア)(松山英樹は2013年賞金王)

これらの選手は、国内賞金ランキング2位、ワールドランキング50位以内、米ツアーでの優勝、他のメジャー大会での活躍、アマチュアとしての資格、などの権利でマスターズに出場しています。

◆日本オープン優勝者でマスターズに出場していない選手は15名

島田幸作
菊地勝司
矢部昭
上原宏一
奥田靖己
ピーター・テラベイネン
田中秀道
手嶋多一
デビッド・スメイル
深堀圭一郎
ポール・シーハン
小田龍一
久保谷健一
小林正則
小平智

必然的に、玄人好みのプロの方がここに入ります。1984年の大会だったか記憶が薄いのですが、上位の選手にビッグネームがおらず、表彰式でパイプ椅子に座っている選手が普段あまりテレビに映らない選手ばかりだった回が、逆に印象に残っていたりします。

日本オープンのセッティング

かつて日本オープンに出場した全米オープン覇者のトム・カイト選手は、日本オープンのセッティングについて、USオープンに匹敵するとテレビのインタビューで言っていた記憶があります。私のイメージでは、ジャンボ尾崎選手や中島常幸選手がオーバーパーで生き残りゲームを制する、あの感じが『日本オープン』なのですが…。日本オープンで2回勝つ実力があればマスターズへの道が開けます。

2015は小平智選手が優勝しました。恋人の古閑美保さんの応援がいつもよりもっと力が入ったに違いありません。

2016年の日本オープンは、復調体制の石川遼選手、今や押しも押されぬワールドクラスとなった松山英樹選手、そこにユニクロを纏って勝ちに来たアダム・スコット選手が再び参戦という見逃せない状況となりました。

追記:話題のアダム・スコットは予選落ち、松山英樹選手が横綱のゴルフを披露してくれました。

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